今、かの戦争を想う「ヒロシマとナガサキ」
8月6日の8時15分。 TVのチャンネルをぱっぱっとまわしていたら 広島からの記念式典の中継をしているのはNHKだけだった。 他の番組はワイドショーやバライティなんかをやっていた。 確実に時代は移り変わっている。 風化していると捉える人もいるだろう。 自分が小学生くらいの時は、原爆投下の時間が近づくと どのチャンネルも中継に切り替わって、黙祷を捧げたものである。 甲子園を見ていても、その時間だけプレーが止まって グラウンドにいる選手達も黙祷を捧げていた。
戦後、60年経つ今年、祖父と父が逝ってしまった。 父は満州生まれで、生まれてすぐに祖母とともに日本へ引き揚げてきた。 数年後に祖父も帰国した。 身近なかの戦争との接点といえば、祖父と祖母だけだったが 祖父が亡くなり、時間の無情さを感じざるを得ない。 語り継ぐべきことは沢山あるのだが、 自分の子供やその世代にちゃんと伝えられるのかすっかり自信をなくしてしまった。 いくら語ったところで、祖父や父のような説得力がない。 戦争の悲惨さも知らないし、戦後の貧しさも知らない。 それがだんだんと記念日の虚しさにつながっているような気がする。 「ヒロシマとナガザキを忘れるな」と言われても そもそも実体験なんてない。戦争についてもそうだ。 あと、「世界で唯一の被爆国」だとかという風に誇るのは止めた方が良いと想う。 もうそろそろ、傷跡を見せびらかせるよりも、 ちゃんと癒さないと腐ってしまうような気がするのだ。