若年層の自殺

そろそろほとぼりが冷めてこないかなと祈りつつ まだ自殺や自死に興味津々だった頃、ある文献で若年層の自殺の特徴について書かれていた。 それは、小学生や中学生などは確実な死に方を選択することが多いということだ。 年齢が上になると、それができなくなる。言い方を変えると死ににくくなるのかもしれない。

最近の不幸な出来事はいじめが1つの要因となっているけれども 短絡的に因果関係を結びつけるのは安易だとする声も少なくない。 確かに衝動的なものかもしれない。独特の孤独感を味わう時期でもある。 しかしながら、この負の連鎖は彼ら自身がいじめやこの連鎖に因果関係を結びつけてしまっている。 最初の発端がなければ、自らの死を免れた人も居たのかもしれない。 誠に不幸なことだが、これはマグマのように、ある種のエネルギーが若年層の間で潜んでいたのだと思う。私たちの時代にもそのようなエネルギーはあった。それは今回とは別の形で、自らではなく、人を傷つける形で吹き出してしまっていた。同年代の少年少女が殺人事件を起こすことで、妙な高揚感を得た事を覚えている。おそらく、それに似た興奮を覚えた人もいるかもしれない。 集団自殺がある意味ブーム化した時もそうだ。 同じような仲間がいるんだとか、触発されるだとかいうよりもむしろ 引力の様に引きつけられるのだと思う。 若年層の自殺は、夭折や不治の病(昔は結核、最近は白血病だろうか)などと 同じくらい不思議な魅力があるものだ。 それを想像するだけで、自分の人生は劇的にドラマチックになるのだから。 それは危険な誘惑である。 だがしかし、実際、いわゆる大人になると全く魅力的に思えなくなる。 その思考の感覚が実感として薄れてしまうので、うまくいえないのだが 今では勤勉に質素に生きることの方が何倍も魅力的なのだ。 たまに夢を見ても、現実を知っている。地に足がついている。 そこで思うのが「浮いた感覚」である。 地に足がつかないような感じ。少女が華やかな芸能界に憧れたり 大成することを夢見る少年の感覚である。 若年層はいつもその感覚を無意識的に身につけていて 我々大人が「どうしようもない」と思う事に対して、笑ったり、泣いたり、悩んだり、没頭したり しているのではないだろうか。 一方で、その「浮いた感覚」をうまく保持している人たちが 華やかな世界で活躍している人たちなのかもしれない。 話を戻すと、なぜ若年層の自殺は確実な死に方を選択するのかはまだよく分からないが その「浮いた感覚」のせいかもしれないと、おぼろげに思う。