高尚なサルたち

題名はちょっと皮肉ってみたつもりだ。 何のことかというと、先日のトヨタカップクラブワールドカップに名前が変わったらしいが)の感想である。 この大会の意義を問うつもりはないが、妙な感覚に襲われたので下に考察してみる。

高尚なサルたちは日本人のことである。 まず、会場の様子を解説すると、ほとんどが日本人で根っからチームのファンである外国人はほんの一握りだ。それ以外の日本人はというと、そこそこのサッカーファンかにわかサッカーファンである。そしてそのほとんどがバルセロナの味方だ。どうせ観戦するなら応援しているチームが勝って欲しい。そこから、どうせ観戦するなら強いチームを応援したい。に、妙なねじれが起きてしまった。 おそらくJリーグや代表の試合ならこんなことは起きない。ネイティブに応援すべきチームがあるからである。 この大会の特徴としてネイティブなファンが少ないことがある。その結果盛り上がりにかける点がある。試合中の反応といえば、サッカーファンはそれほど熱くなることなく、冷静に試合を眺め、にわかサッカーファンは期待はずれだったのか、時間をもてあまして飽きたのか、そのうち世間話をしながら試合を眺めるようになる。(個人的にはこれがあまり気に入らない) 世界最高峰を決める大会なのにこの気だるい雰囲気は、ワールドカップの熱狂に比べてまったくの正反対である。(規模やタームの違いはあるが) 悪い言い方をしてしまえば、この大会は 世界の一部の富を牛耳る高尚なサルたちが、退屈しのぎに地の果てから強者と呼ばれる者たちを集め、不遜な笑みを浮かべながら彼らの戦争を余興を楽しむように観戦しているような、滑稽な状況に見えてしまうのだ。 そもそもトヨタカップは中立性と安全性を主張して売り込まれたものだった。 確かに、このようなヒステリックな代物を運営できるのは日本以外は(客観的にみて)考えにくく、この先もしばらくは日本独自開催となる見通しだ。 サッカー後進国の日本にとってこのようなレベルの高い試合を見れるのは大変意義のあることだと言われてきたが、肝心の参加国の動機付けが賞賛よりも賞金(+日本の観光と買い物)に重きを置かれてきたかのように思えてしまう。ほかのクラブの大陸王者が参加するようになった現在でも、その位置づけは変わっていないように思う。 結局、この大会は日本人のための余興なのだろうか? 別にこのままで良いなら良いのだが、たまたま先日の観戦では 隣におそらくにわかファンが居て(ずっと関係ない話をしていた) その隣にはネイティブなファンがずっと熱狂していて その温度差を目の当たりにすることになり、そんな考えをずっと巡らしていた。 そしてサルたちの期待を裏切るように南米代表チームが勝利してしまう。 私としてはとても残念だったけれども、見方によればとても手堅い上手い試合運びをしたと、うなることもできる。日本代表が負けるよりは、至ってショックは浅い。 実はどこのクラブが世界一になるのかよりも、面白い試合を見たいというモチベーションの方が強いのかもしれない。スペクタクルサッカーを展開してもらって、あわよくば勝ってほしいのだ。日本人のサッカーはマナーが良いのか、多少目が肥えたのか、良いプレーには拍手をするし、たとえ強者のにわかファンだとしても相手を蔑むブーイングなどは絶対にしない。(そういった点で「高尚」としてみた) 我々日本人にとっては世界的クラブが来日することが重要なのだ。 クラブワールドカップと改名し、トヨタの文字をセカンダリにもってくるあたり、この先、FIFAはワールドカップと同じくらい熱狂的な大会にしていきたいという現れだろう。また興行性があるとなったら、他の国もやりたがるだろう。(現にメキシコもやりだっているらしい) そうなればようやく日本の手から離れることになる。 毎年楽しみなイベントではあったが、日本から離れた方がなんとなく健康的に見えてくる。