誰の家族か

ここ2年くらいずっと頭の中でひっかかっていたものがあります。それは父が亡くなった時に痛感したことで、「私の家族は父と母の家族だったのではないか」ということです。「~の」が所属というよりは所有という意味に近いのですが、それぞれ言い換えると「私の所属する家族は父と母が所有する家族だった」のではないかということです。 別に一家離散したわけじゃありませんが、母を中心に集まることはあっても、兄弟で何か成し遂げるという事は難しいと感じました。兄弟の仲が悪いということではなくて、そもそもそれぞれに生活や家族がありますし、親と兄弟とでは別々の精神的な距離感があるように感じます。

結局、経済力・扶養という話ではつまらないのですが、現実的にというか精神的にも、生活のスタイルによってだいぶ距離感が変わってきます。かれこれ7年近く一人暮らしをしていますが、私個人にとっては現在の生活が主要であって、実家という場所は二の次になってしまいます。 例えば実家へ何らかの形でコミットしなければならないというシーンで、おそらく今の生活を優先的に考えますから、実家への貢献は難しくなります。実家のコミュニティは私が所属する家族には変わりはないけれども、既に両親が所有する家族ではないということです。 少し話しが変わります。 私は地方出身なので、友人のカテゴライズとして、実家暮らしの人と地方出身の人に分けられ、多少意識することがあります。 地方出身の友人とはどことなく共通する意識を感じ取ります。よく実家に帰省し親孝行している人もいれば、一方でもう何年も帰省していない人もいます。前者の人は立派だと思いますし、自分もできればそうしていきたいと思います。後者の人も実家が遠いとなかなか帰省しづらいのもよく理解できます。 共通して言えるのは今の生活が第一にあって、自分の貢献できる範囲で自分の家族へのコミットをしているのだと思います。(例外は多々ありますが、一般的な例として) 実家暮らしへの友人にはよく「一人暮らししなよ」と勧めてみたり、「一人暮らしは大変だ」とか不幸自慢したりしてしまいますが、素朴に羨ましさや懐かしさという感情がほとんどです。典型的な例として、父がいて母がいて兄弟がいて自分がいる家庭・家族像が、私にとっては遠い昔のことで、もう二度と帰ってくることのない日々なのです。今更ホームシックというわけではありませんが。 つまり自分が扶養してもらい共同生活をする生活はおそらくもうありません。今後もし、二人以上の家族を形成する時があったら、その時は自分がその家族を所有・形成する側になります。よく新婚夫婦が言うような「明るい家庭を築き上げていきたい」とか聞きますが、まさにその通りだと思います。よくよく考えると責任重大で大変なことだと思います。 大学に入った頃から家族について漠然と考え、「家族はチームのようなものだ」と一定の結論を出していたのですが、ここ最近の自分の精神状態を観察していると、どうも違うのかなと思いました。その理由は、今までは自分は受け身であったということです。受け身としての家族像は考えることはあっても、実は自分が家族を扶養・形成すると考えたことがなかったのです。一人で生きる選択肢もありますが、家族を持つ可能性はありますし、そもそも自立しなければなりません。そして実家とは別の生活の拠点を持つことになれば、1つの家庭・家族として見なしてもいいかもしれません。(ということは結局、経済力の話になっちゃいますが) 現在の生活は一応扶養してもらっている身なのですが、私としては父からの遺産のつもりでモラトリアムを過ごしています。もちろん母や兄たちの協力もあって成り立っていますが、今後彼らに恩返しをする一方で、もう別々の家族として自立しなければならないのだなと寂しく思い巡らしています。