風の博物誌 その4

 昔は、風と天気はひとつのことだった。
 英語ではウィンドとウェザーという二つの単語を入れ替えても同じような意味をもった時期があったが、この関係は今でも「ウェザーヴェイン」のような名称に名残りをとどめている。これは「風向計」あるいは「風見鶏」のことで風の方角を示す装置にすぎず、天気とはまったく関係ないのだが、「ウェザー」という単語が使われている。
 目に見える目的に風が役立つ場合、つまり船や風車を動かしたり穀物を風選したりする場合は、風はおおいに尊ばれる。人びとは風を求めて祈ったり口笛や笛を吹いて呼んだりしたし、功徳があるとなれば、最良の風を安く売る老婆から買ったりさえした。
 今では風の社会的地位は低下してしまったが、その重要性は依然としてじつに大きい。気候やわれわれの健やかな生活を左右するものとして風ほど大切な要素はない。

ライアル・ワトソン, 木幡和枝訳. "風の博物誌". 河出書房新社, p49, 1990. 「ウィンド」の語源をたどると、「息」と「精神」という意味も示していたわけで、地球と人とが一体になる感じがする。そもそも著者がガイア説を支持してそうですけど。

というか、この著者は別に風の専門家でもないのね。 あと微妙に日本とも関係があったり。捕鯨反対運動家というのはちょっと解せませんが。 思想的には若干うさんくさいかもしれないけど、教養を身につける本として面白いかも。 引用しすぎもよくないんで、この辺にしておこう。 全文検索ができる自分用の本のDBが欲しくなる今日この頃。