「やりたい」と「できる」は違う
いつだかそんな事をメモに書いた。 解説すると自分が「やりたい」と思っている事と自分が能力的に「できる」事は違うということだ。 たぶん当時は「戒め」であったり「諦め」の言葉だったのだと思う。 今考えてもその印象はあるが、社会人になるにあたり考えてみると、これはサラリーマンの生き方に近いのかなと思う。そういった側面からではポジティブな言葉なのかな。 けれども「やりたい」と思って中断している事が沢山ある。 断念よりは中断しているつもりなのだが、いつ再開できるか分からない。 創作ものなんかは当時の感性が失われてしまったものもあるので、再開のしようがないのかもしれない。 いつも思うのはそういった未完成のモノたちに対する申し訳なさである。 その一方で、「なんで就職するんですか?」という質問があったときに「生活のため」とキッパリ答えられてしまう自分がいるわけで、ダブルメジャーとはいかないまでも趣味で趣味で中断していたものを再開していけたらなと思う。