筑紫さんについて思うこと

筑紫さんはいい意味でぼんやりした人だ。 そんな印象だった。 癌という病はすぐには人の命を奪わないので、切なくもあるけれども一方では覚悟ができる。 当人も家族も、周囲の人も「もしも」を覚悟することができる。 「もう長くはないかもしれないな」 その積み重ねが、「もしも」の時にショックを和らげることができる。 悲しいことには変わりはないが。。。

小さい頃、筑紫さんに似ていると言われたことがる。(まぁ老け顔だったんだな) そう言われて歳をとったらこんな感じになるのかなとか思った。 たぶんそれから妙な親近感をもってニュース23をよく見るようになった。 筑紫さんは野球が好きでカープファンだった。 ただサッカーには興味がなく、Jリーグが盛り上がる中「なにが面白いのかよく分からん」といった感想だった。 けれどもワールドカップが日本で開催されると徐々にその感想が変わっていった。 「見ているとだんだんと攻勢がうつろっていくのが面白いね。攻めていたのにいつのまにかピンチになっていたり、その逆があったり」というような主旨のコメントをしている。 筑紫さん自身もそんな感じだった。 のらりくらり、はっきりせず、ぼんやりとしていて、イデオロギーもポリシーもあまり強くない。 それが言論人としてジャーナリストとしていかがなものかという批判はあるけれども、まったくの中庸というわけではなく、様々な立場の思索を巡っていく姿が良い意味でぼんやりした人だという印象に至った。 たぶん良心の人なんだろう。 だから感化されやすく流されやすいのかもしれないが。 同じような印象は田勢さんや田原さんにも感じる。 (田原さんはわざと極端にしているようなきらいがある) とはいえ、みなさんテレビや業界の人という印象は抜けないので、中間的なポジションの人という勘ぐりもあります。