松田直樹というサッカー選手について

あまり著名人や有名人の死に直面しても悼むことはあっても涙を流すことはあまりなかった。つい最近では、レイ・ハラカミさんが亡くなってしまうし、身近でも知人が亡くなるなど、若い人の死はとてもいたましかったけれど、涙は流せずにいた。 松田選手が倒れたというニュースはtwitter上で噂レベルで流れ始め、なかなか確報が出てこず、最初は熱中症かという話もあった。けれどもだんだんと事情が分かるにつれて相当厳しい状態だというのが素人ながらも理解した。もうただひたすらに祈るしかなかった。ニュースやらブログやらで松田選手の過去の経歴やどんな選手なのかという内容を聞くようになり、辛うじて現在進行形ながらもまるで訃報後のような取り上げ方に若干腹立たしくもあった。 そして亡くなったというニュースがあった日は、為替介入や合併騒ぎがあり、仕事に忙殺されていた。そして、一段落したあと自然と涙が溢れた。自分でも意外だった。入団当時からのファンではあったけれども、そこまで特別な存在だったのかという自覚はなかった。 少し歴史を振り返る。 自分がマリノスファンになった理由は単純に色であった。トリコロールカラーがとても魅力的だったから。Jリーズ発足当時は小学生であったし特にサッカーをやっていたわけではないので大した理由ではなかった。そんな理由で好きになったチームは守備が強く、松田が入団した当時は、川口や井原、小村といった日本を代表する選手たちがいて、その中で1年目からレギュラーとして活躍していた。 Jリーグもさることながら、日本代表としての松田の活躍は気がつくと凄まじいものだった。気がつくとというと語弊があるかもしれないが、各年代で世界大会を経験している。匹敵するのは中田英寿くらいだ。 近年になり年齢的にも体力的にもピークを過ぎて、個人的にはマリノスでベテランらしく渋く続けてくれると嬉しいと思っていたが、2010年のシーズン終了後まさかの戦力外通告だった。年俸ダウンでもサインしたこともあった選手に対して、あまりにも残酷な仕打ちのようにも思えた。 次の「新天地」が話題になるなかで、松田が決めたのは松本山雅だった。松本はそこまで親しい印象はなかったものの、別の方向からまさかのニュースが飛び込んできた。高校の同級生が選手として同じタイミングで移籍してきたのである。あの松田選手と知人が同じピッチでサッカーをするとは夢にも思わなかったし、ぜひとも観戦しておきたいと思い、そんことを何度か周囲にも漏らした。 結局その願いはかなわずじまいとなってしまった。 とはいえ、松本山雅の試合は機会があれば見に行きたいと思う。