母が倒れた

たいして伝播力もないブログなので、日記として今の気持ちを吐露しておこうと思う。 4カ月くらい前のことだ。 自分の入院の予定日の前の日に危篤状態になった。入院をキャンセルして帰省した。 なんとか一命はとりとめたものの、自発呼吸がほとんど失われ、意識はあるがうとうと眠ってしまう傾眠状態が続いた。 もともと目眩がひどくなり5月の連休明けには病院に通い、脳梗塞と分かってから入院していた。 まだ、歩行と嚥下に障害が残っていたが、「リハビリをこれから頑張ってやっていこう」という比較的ポジティブな状態で ちょうど自分の手術のこともあり、落ち着いてからお見舞いに行こうと思っていた矢先だった。 2カ月ほどリハビリをして、自発呼吸を浅くもできるようになったが、多少の意識はあるものの、意思疎通はなかなか難しい状態になってしまった。 Yes / No は分かっても、何を言おうとしているか分からない。探りのいれようもない。もう少し手先が動くようになればとリハビリを続けているがなかなか芳しい状態ではない。 医者からは「あとは本人のやる気次第」とも言われ、裏を返すと、効果のないリハビリは医療機関としてはなかなか継続するのが難しいということだ。多少なりとも、国民の税金で賄われているのだから致し方無いようにも思った。 一番上の兄や義姉には頼りきってしまい、だいぶ負担をかけてしまっている。跡継ぎだからとはいえ、上京した自分はお見舞いしかできず、手伝いといっても、生活感がまるでなくなった実家の掃除くらい。人が生活しなくなるとすぐホコリがたまる。そういえばそろそろ同居を考えていた時期でもあった。隣近所の説明もままならずバツが悪そうではあったけど仕方ない。春には居を移すそうだ。これで自分の実家は兄の家族のものになる。そのうち喪失感が出てくるのだろう。 兄家族の負担をなんとか軽減できないかとも考えたこともある。まだ新幹線通勤が認められている会社ではあるので、いっそ軽井沢に移住するのもありかもしれないとも思った。たぶん、それはそれで兄は受け入れないだろうし、むしろ咎めるだろうなとも思った。危篤状態で呼び出しがかかっり、一通りのことを話合ったあと、「とりあえず、それぞれの持ち場で頑張ろう」と言って解散した。その「とりあえず」がどれくらい続くか分からない。それでも、まずは通常のいつもの生活を守ろうとなった。それぞれ家族を抱えているし、自分の身体だって若い時のような健康体ではない。とはいえ、その「とりあえず」の状態を一旦どこかで見直す必要がある。例えば費用面についてもだ。こんなことでしか協力できないという歯がゆさもあるが、いろいろな面で兄家族をバックアップできればと思っている。 今思えば後悔ばかりである。結局、直近で会話らしい会話をしたのは入院の前の日の電話だった。 「ちゃんと入院してよく診てもらって」まだその時は病状はそれほどでもなかった。 自分の手術のこともあってお見舞いには行かなかった。 母には父にはできなかった親孝行をしてみたいと思っていた事がいくつかあった。 スカイツリーをいつか登りたいとも思っていたし、親子3世代で海外旅行もしてみたかったし、東京の美味しい料理も紹介したかった。 10年前に父を失った時と同じような喪失感である。 まだ、できることもあるかもしれないけど、正直無理だろう。 せめて、新しく生まれてくる孫を抱きかかえてくれればとも思うが、今の状態ではそれもかなり難しい。 30代前半がこんな状況になっているとは思いもよらなかった。 否、大変な状況の人はきっとたくさんいる。珍しいことではない。 ただ、自分の子どもの「祖父母」の概念から、自分の両親の存在感が欠落しているようで、少し寂しい気持ちになる。 また、甘えん坊な息子と妻のじゃれあいを見ていると、昔の自分をダブらせてしまう時がある。 きっと同じような性格で、甘えん坊で、わがままで、駄々こねて困らせていたんだろう。 因果応報、きっと自分は良い最期じゃないような気がしているが、どうか息子たちと妻とは良い関係で時を重ねていって欲しいなとも思った。 いままでの普段の暮らしに戻るのはほぼ無理だとは分かってはいるけども、もう少し穏やかな状態にならないものか。 新しい命も生まれてくる。今は絶望の少し手前くらいでとどまっている。